〔プロフィール〕
東京都杉並区生まれ
立教大学文学部卒業
修士課程中退
フランス実存主義哲学から思索を開始、
旧約聖書を経てユダヤ神秘主義神学の
思索をベースにその現代的具象化を試みる
描出技術については
第一志望校は美大であったため、受験予備校と個人塾
パリのアートスクールPenninghenに一年間在学
〔個展〕
1994 六本木アートボックスギャラリー(東京)
2001 銀座教文館(東京)
2018 タナカホンヤ(根津)
2019 タナカホンヤ(根津)
2019 River Coffee & gallery(東大前)
2022 「重力」(新宿眼科画廊 / 東京)
〔二人展〕
2023 「アメルリ」(新宿眼科画廊 / 東京)
〔賞歴〕
1994-1996
「Art box 大賞展」準グランプリ
「アーバナート」佳作
「リキテックスビエンナーレ」佳作
2016 「白日会」入選
〔X(Twitter)〕
@lestoiles _
〔Instagram〕
ふるやしきせつ
@les_toiles_
ラヌエ絵画教室
@lanuee_atelier
〔展示〕
2025年11月28日(金)~12月3日(水)
12:00~20:00(水曜日~17:00) ※木曜日休廊
「The ineffable」
ふるやしきせつ
入場無料
スペースS
〔概要〕
The Ineffable
ことばで言いあらわし得ぬもの
それは、たとえば「神」のような、ずば抜けた存在に対する「感嘆」を指すことばである。
たとえば何世紀にもわたって社会の基礎となっている定理や真理、また天国のように美しい旋律などに対して、
人が恐れ抱いている信頼や、深い衝撃。
「聖なるものの味わい」
「不滅のものの喜び」
伝説的に現れ、受け継がれていく、至高の次元に対しての心情を表す ineffable
この言葉は本来「超越的」な存在に対応するらしいのだが、その次元からは天と地との差と距離があるはずの
現代日本の「エモ」という概念が、ある時ふいにineffableに跳ね上がったり深まったりする様子を、
私たちは日常の中で見つけることがあると思っていて、それを捉え、表出したいと思っている。
エモと、ineffable
この二つの言葉を並べて語るのは違うのかもしれないが、理性や科学信仰が詰む場面においても、
すんなりと進み行くことができるというineffablyな「驚嘆と」、感情として極まっている状態の「エモ」は、
次元に関係なく一致することがあり得るのではないかと思えるし、もっと具体的にイメージすれば、
Ineffableの感覚が、私たちが感きわまったところに、不意に滑りこんで来て、親和するのかもしれない。
Ineffableは「エモ」が生まれるその次元にも、しなやかにマッチするようにも思えるのである。
ありふれた感情を日々動かしている私たちの中で、心が、突然「エモ」の次元に昇華するとき。
人がIneffableを汲むその泉のヴィジョン。
ランドスケープ作品では、そんな意識世界の具象化を試みる。
Wisteria 「藤」は、植物的な命のうねりのアレゴリーであり、空間に触手を伸ばしていく様は、目に見えぬものや
言い表しえぬものへの憧れであるようにも見え、絶望からの救いを求める手でもあるかもしれない。
エモにはエロも滲むと思う。
その表出も、更に深めて行きたい。
今回は、合わせて「ポートレート」を思索、試作しています。
見ていただけるだけでとてもしあわせです。
ふるやしきせつ

