〔展示〕
2013年8月30日(金)~9月18日(水)

12:00~20:00(最終日~17:00) ※木曜日休廊

 「リバーシブル山形」

サイトウケイスケ / 髙田幸平 / 多田さやか / 村上滋郎 / 望月梨絵

スペースO(1Fスペース突き当り一番奥)

私たちの共通点として、山形を含め、複数の都市で生活した経験を持つ若者であることがあげられます。
他の都市から山形へやってきた者、山形から他の都市へ出ていった者、
そして一度は山形を離れ、再び戻ってきた者。
これらの移動は、作家である私たちにどのような影響を与えたでしょうか。
少なくとも、山形で過ごすことがなければ、あるいは、それぞれの距離を移動することがなければ
生まれない表現を行っていることは確かです。
また、私たちの持つ「街」に対するイメージそのものが、
本来の意味でのcomplexであると言えます
(コンプレックス→劣等感は、誤訳であり、本来の意味は「複合的な」であることから)。
  『リバーシブル山形』は、街と街との間で確かに変化する感覚を持ちながら、変わらない表現、
そして自分自身も存在するが、それは成長といったかたちで変化してきたものでもあるという
二律背反(アンチノミー)を認識することのできる展示です。

 

私たちはしばしば、作品をその作家ゆかりの土地と関連づけて考える。
たとえば、この作家はあの土地に住まったことがその作品に大きな影を落としている、といった具合に。
作家自身がそう解説しているとなおさら、私たちはなるほどそうかと納得する。
ああ、あの土地がこの作品を生んだのだ、と。 
けれども待って欲しい。
本当か? もちろん作家にかぎらず、 私たちは生きる上で居住する土地と無関係ではいられない。
しかしその結びつきのありようは一様ではなく、作家と作品の関係もまたイコールではない。
作品にとって土地は、それを形作った数多くの要素のうちのひとつにすぎないのではないか。
作品の表面にせり出ている場合もあれば、裏面にひっそりと隠れている場合もある。
おそろしいのは、それ=土地だけで作品を理解したつもりになることだ。そのとき作品は、
本来持ちえた(かもしれない)豊かさを決定的に損なってしまう。

したがって、特定の地名が含まれた「リバーシブル山形」に対し、危うさをまず指摘しないわけにはいかない。
だが一方で本展は、危うさをむしろ積極的に引き受け、展示によってその解体が試みられているようにも思える。
すなわち、山形以外にも居住経験のある作家を集めることで、山形に対する作家のまなざしの複雑化、
相対化が目指されていること。
だから期待したいのは、そのこととなにより作品が、見るものに、「山形」は作品に貼付可能な
無数のタグのひとつでしかないことに気づかせることである。
そのとき私たちは、作品が「山形」を裏返し、裏も表も混ざり合った重層的な世界の立ち上がりを見るだろう。

小金沢智(世田谷美術館学芸員)

c 2004- 新宿眼科画廊   /(株)GelatinContemporary

Shinjuku Ophthalmologist(GANKA) Gallery

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